プライバシー強化に動いたAppleと、ユーザーの反応

Appleが4月末にリリースした最新のiOS 14.5(iPhoneやiPadの基本ソフトウェア)で、プライバシーの強化を行った。具体的に言うと、iPhoneなどのユーザーがアプリを導入した場合、これまでそのアプリ会社がユーザーを識別するIDFA(Identifier for Advertisers)というそれぞれの端末固有の識別子をiPhoneから取得し、そのiPhoneユーザーのアプリの利用状況などのデータを収集し、自社で利用したり、他企業に販売することが可能だった。これが、今回のプライバシー強化で、ユーザーに承認を得てからでないと、それを行うことができなくなった。App Tracking Transparency toolという機能がそれだ。

自分が使ったアプリやウェブ上のサイトに関連した広告が、突然Facebookなどに現われて、びっくりしたことがある人は多いだろう。それは、そのアプリがユーザーデータをFacebookなどに直接あるいは間接的に販売した結果だ。Facebookなどに広告を出す企業は、これによって自社製品・サービスに興味を持っているユーザーをターゲットとした広告を提供することが出来る。これまでの広告は、テレビや新聞など、一般大衆を相手にしたマス広告がほとんどだった。テレビの場合、番組内容、放送時間帯などから、視聴者層を推定し、その人たち向けの広告を出すことは可能だったが、本当にその人たちが自社の製品やサービスに興味があるかは、わからなかった。

これを個人レベルの嗜好を、使っているアプリやウェブでの利用状況により詳細に分析し、ターゲット広告(targeted advertising、日本ではターゲティング広告という場合も多いようだが、英語では通常そのような表現はしない)を行うことが、インターネット上で可能となった。これは広告主にとって、広告効率を上げる上で、極めて大きな武器となった。そのため、そのような広告の場を提供するインターネット上のプラットフォームも、高い広告効果に見合った広告料を要求することが可能になった。これは広告業界にとって、インターネットが起こした大きな変革だ。広告業界に起こったデジタル・トランスフォーメーションと言える。

この結果、インターネットを使ったデジタル広告は年々拡大し、これまでの新聞、雑誌、ラジオ、そして、テレビ広告までも凌駕するまでにいたった。今年は米国でいよいよデジタル広告が、広告市場全体の半分を超える見込みだ。このようにデジタル広告が広がってきて、大きな問題が2つ浮かび上がってきた。一つはデジタル広告業界の寡占状況。もう一つはプライバシーの問題だ。デジタル広告業界の寡占状況は、GoogleとFacebookの2社で米国市場の53%以上を占めていること、Amazonを加えると63% 以上になる状況だ。これについては、また別な機会に取り上げたい。

今回はもう一つの問題、プライバシーについての話だ。ウェブサイトについても、クッキーという識別子をウェブサイトがユーザーのブラウザーに組み込む仕組みがあり、これについてもユーザーによる事前確認や、クッキーそのものの廃止の流れも進んでいるが、今回はAppleの行ったアプリに関するIDFAについての話だ。もともとAppleはユーザーのプライバシーを重視する方針を取っていた。創業者のSteve Jobsは2010年に、プライバシーとは、人々が何に加入(sign up)しているかが、明確にわかることだと述べており、Appleは自社をデジタル・プライバシーの番人と位置づけようとしている。

Appleの今回のプライバシー強化で、冒頭に述べたように、ユーザーがアプリを導入した場合、ユーザーのデータをトラッキングしていいか、アプリ会社はユーザーに聞かなければならなくなった。すでに導入済のアプリについても、この新しいバージョンのiOSを導入後、最初にそのアプリを使うとき、同じことを聞かれる。ユーザーの選択肢は2つ。トラッキングを認めるか、それを拒否するかだ。このように聞かれたら、おそらく拒否する人が多いだろう、というのが大方の見方だ。

実際、それが起こってしまうと、広告主はユーザー向けのターゲット広告が難しくなる。そのため、FacebookなどがこのAppleの仕様変更に強く反対し、Appleも昨年夏に発表したこの機能を実装するのを、当初予定を数か月延期していたが、この4月末にその実施に踏み切った。FacebookはこのAppleの仕様変更により、自社の広告ビジネスに痛手を被る可能性が十分あるので、昨年からずっと反対していた。ただ、反対理由としては自社への問題ではなく、ターゲット広告に依存している中小企業が大きな痛手を受けるので、彼らを代表して反対しているとして、大手新聞に一面広告を昨年12月に出した。Facebookによれば、小規模企業(Small Business)の44%は、IDFAを使ったターゲット広告に依存しているという。

AppleとFacebookは、これまで特に競合する製品やサービスがなく共存状況にあり、AppleのCook社長は、2014年にはFacebookのことをパートナーと呼んでいたほどだ。しかし、今回の件でお互いの社長が相手を非難するなど、関係が悪化している。Appleは、何事もオープンにしてシェアすべきだというFacebook Zuckerberg社長の考え方に対し、プライバシー上問題があると批判している。一方Facebookは、Appleが現在App Store経由で販売されるアプリにかけている手数料について、係争中のゲーム会社大手Epic Gamesに対し、情報提供などの支援を表明している。AppleとFacebookは、提供する製品・サービスでも、メッセージング・ソフトウェア、さらにAR(拡張現実)、VR(仮想現実)の分野で、これから競合する可能性が高く、両社の不仲はこれからしばらく続きそうだ。

スマートフォン業界は、Apple以外にGoogleが基本ソフトウェアで大きな市場シェアを占めているが、GoogleのAndroid系スマートフォンについては、いまのところAppleと同じようなプライバシー強化をする話は出ていない。Google自身、収入の大部分を広告収入に依存しており、ターゲット広告も、Googleの大きな武器の一つだからだ。しかし、Appleはプライバシーをしっかりしているが、Googleはしていないという評価にならないよう、何等かの手を打つべく検討中の模様だ。Googleは、AppleのiPhone、iPadにおけるPreferred Search Engineとなっており、そのために年間$9 – 12bil. Appleに支払っていると言われ、両社とも関係悪化は避けたいところだ。

Appleは、iPhone、iPad、Macなどのハードウェアによる収入が多く、広告収入は小さいので、このようなプライバシー強化によって、自社の収入にマイナス影響は起こり難い。それでも、中小企業を含む、これまでAppleが提供するIDFAに頼ってターゲット広告を行ってきた企業に大きなマイナス影響が出ないよう、Appleの広告スペースを直接購入すれば、広告効果やユーザー動向について、より細かな情報をリアルタイムで提供するという。Appleの広告収入は、今年約$2 bil.になると予想されているが(2020年度総売上は$274.52 bil.)、その多くはApp Storeのサーチ広告によると言われている。

Appleは今回のプライバシー強化で、ユーザーからプライバシーに強いAppleというイメージをさらに高めることが出来るが、これに付随して、他にもメリットがある。ターゲット広告による収入に依存しているアプリは、それが難しくなり、これまで無料だったものが有料になる可能性がある。そうなると、App Store経由のビジネスということで、Appleはその30%(中小規模企業に対しては15%)の手数料収入を得ることができる。また、広告に関連して多くの情報が得られるApp Storeでの広告も増えるかもしれない。Appleにとって、このプライバシー機能強化は、得することばかりのようだ。

さて、iPhoneやiPadの個人ユーザーにとってはどうだろう。そもそも自分の嗜好がいつの間にか誰かに知られ、それに関連した広告が全く別なところに出てくることに、何か気持ち悪いものを感じている人も、少なくないだろう。そのような人にとって、この新しい機能は朗報だ。iOSを14.5にアップすれば、その後アプリを使用するときに、トラッキングをしていいか聞いてくるので、それにNOと答えればいいだけだ。すべてのアプリに対して返事をするのが面倒な人には、Settingの中のPrivacyの中のTrackingで、すべてのアプリからのトラッキングを拒否するように設定することも可能だ。この設定は、あとで変更することもできる。

おそらくこの機能が入ると、多くの人がトラッキングを拒否する、という選択をするのではないかと思う。しかし、よく考えると、ターゲット広告は悪いことばかりではない。むしろユーザーにとってメリットも少なくない。それは、自分に関係のない広告を見せられるのは邪魔でしかないが、自分が興味のあるものに対する広告は、広告というだけでなく、いい情報収集になることも多いからだ。トラッキングをしないように設定したからと言って、広告がなくなるわけではなく、結局広告は見せられるのだ。それがサービスを無料で、あるいは安価に提供してもらうための代償だからだ。

もしかすると、広告収入が得られないとなれば、これまで無料だったサービスが有料になってしまうかもしれない。アプリから「あなたの行動をトラッキングしてもいいですか」と聞かれれば、反射的にNOと答えたくなる人がほとんどだろう。しかし、質問を変えて「有料サービスがいいですか、それとも無料サービスで広告を見るのがいいですか?」「無料サービスで広告を見るのがいい場合、自分に興味があるものの広告がいいですか、それとも全く関係ないものの広告がいいですか?」とすると、どうだろう。「自分に興味があるものの広告を見て、無料サービスを受けたいという場合、あなたの行動をトラッキングすることになりますが、それでもいいですか?」というのが本来の質問だろう。とりあえずはトラッキングをやめてもらうにしても、見たくもない広告をいくつも見せられると、そのうち、トラッキングされても、自分に興味のあるものの広告にしてほしい、と思う人も増えてくるかもしれない。これから人々がどう反応していくか、興味深いところだ。

  黒田 豊

(2021年6月)

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