一般公衆向け医療ソリューションを開発する人たち

米国の高度医療は、かなり先進的だと私は常々思っている。実際、私の知人で大きな手術を米国で行い、その後ほぼ完全に回復し、元気にしている人を何人も知っている。何か大きな病気をしてしまった場合、米国のこのような高度医療を受けられるのは心強い。ただし、医療費はかなり高額で、医療保険でカバーされる分を差し引かない金額では、1つの手術で1000万円を超えるものも珍しくない。したがって、米国で医療保険に入っておくことは、このようないざというときのため、必須と言える。

しかし、医療費が高額なため、医療保険も決して安くない。勤務している会社が医療保険を支払ってくれている場合は、個人負担はそれほどでもなく、会社によっては全額負担してくれるところもあるが、そうではなく、自己負担するとなると、大変な額を毎月支払う必要がある。そのため、その高額な保険支払いを嫌って、医療保険に入らない人もいる。そのような状況を解決しようとしたのが、オバマ前大統領による、いわゆるオバマケアといわれる、全国民に医療保険に入ってもらおうという制度だ。この制度でかなりの人が医療保険に入ったが、それでも100%には届いていない。

保険制度はさておいても、米国の医療制度は、高度医療には強くても、一般公衆向けの医療という点では、いろいろ問題を抱えている。それが今回の新型コロナウィルス問題で、表に出て来てしまった感がある。米国でコロナ問題が発生し、騒がれ出したのは2月から3月初めころだが、いまや米国は感染者数、死亡者数とも世界一という不名誉な状況だ。これは、コロナ問題が発生した当初から、現政権が問題を軽く見た、あるいは軽く見せようとしたことも原因の一つと言えるが、それだけではない。

今回のコロナ問題のような、一般公衆に広く影響するパンデミックに対する対応ができていなかったことが、大きな問題の一つだ。具体的には、米国の医療が高度医療の面では先進的で最先端を行くものも多いが、一般公衆に対して安価に対応することが出来るものが整っていなかったことが挙げられる。一例を上げると、感染の有無を判定するPCR検査体制がある。専門家から、もっと多くのテストを実施し、感染者を早期に発見することによって、感染拡大を抑えるべきだとの意見は、ずっと以前から上がっているが、いまだに安価で十分な数のテストが行われてはいないのが現状だ。

このような現状に取り組もうと、以前から一般公衆のための医療提供方法を研究し、実際いろいろなものを開発している人たちが、われわれの近く、Stanford 大学にいる。Prakash Labがそれだ。ここでの研究は、米国だけでなく、世界中で安価な医療を求めている人たちのために行われている。

コロナ問題対応の一例として、Pneumaskという医療従事者向けN95マスクがある。米国では長い間、世界ではいまでもN95マスクが不足しているところは多い。それらの地域の人たちのために作られたのがPneumaskだ。これは水中で使うシュノーケルのようなもので、極めて安価($20)で、これに3Dプリンターで作ったマスク($2)を加え、週一回交換すればいいフィルター($3-4)を使って、100日ほど使えるというものだ。使い捨てのN95マスクは数ドルなので、コスト的にもかなり安く済み、何よりもN95マスクが不足している地域では、極めて重要なものとなる。

少し前の数字だが、フランスで25,000、ベルギーで10,000、世界で40,000個が、すでに使われているという。米国でも非公式に使われているようだが、正式なN95マスクとして米国食品医薬品局(FDA: U.S. Food and Drug Administration)で承認されるには、しばらく時間がかかりそうだ。そして、このマスクのためのフィルターを、何の設備もないような場所で大量に作れるよう、N95 Factory in a Boxというプロジェクトも、このラボでは実施している。これは綿菓子を作るような装置を使って、安価で簡単にマスクのフィルターを製造できる仕組みで、実際インドで利用されているとのことだ。

コロナ問題対応で、もう一つ紹介すると、簡単に製造可能な病院のICUで使われる人工呼吸器がある。ご存知のように、新型コロナウィルスに感染し、重症化してしまった場合、人工呼吸器の利用が、患者の生死を分けると言われるくらい、重要なものだ。Puffer Fishという名前の装置で、その製品の詳細、また製造方法はオープンソースとして公開されている。これはPrakash Labだけでなく、全米の複数の大学が協力して開発したものだ。世界中にいくつもの製造パートナーを持っており、すでにインドやケニアで作られているという。米国ではFDA承認を受けるのに、4-5年かかるのではないかと言われているようだ。

さらに、いまでも新型コロナウィルス感染確認のためのテストの数が足りないこと、また結果が出るまでに長い時間がかかることが問題になっているが、これに対しても、唾液を使い、電気のいらない、手で回すことが出来る簡単な$10以下で構築できる遠心分離機を使って、$1程度で簡単にテストできるものを開発したと言っている。結果も30分以内に出せるので、精度がどれくらいかは明確に出していないが、多勢の人たちの最初のスクリーニングには便利なものと言える。この7月に出来たもののため、FDA承認などは、まだとれていない。

ここ半年は、コロナ問題が最大の関心事なので、いま上げたものをはじめ、コロナ関連で他にもいろいろなプロジェクトで研究開発が進められている。しかし、このラボはコロナ問題対応のために立ち上げられたものではなく、もともと世界の人々に、「お金のかからない、簡素な医療機器」を作り、広めようとして設立された。これまで開発したものとしては、安価なマラリアの検査機などがある。医療機器だけでなく、もっと幅広く「簡素な科学ツール(Frugal Science Tool)」を開発して、一般公衆に使ってもらう、ということがこのラボの大きなテーマのようだ。

そして、開発したものは基本的にすべてオープンソースにし、誰でもそれをもとに製品を作ることができ、民間企業はその製品の製造販売、そしてサポートをする。ソフトウェアの世界のオープンソースと同じ発想で、いろいろなものを開発している。米国が強い高度医療も大切だが、今回のような新型コロナウィルスによるパンデミックが起こったとき、このラボが行っているような、安価なコストで製造できる簡易ツールの開発は、世界にとってとても大切なものだ。そのようなものの開発に尽力している人々がいることは、とても頼もしく、大いに期待したい。

  黒田 豊

(2020年10月)

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