ベンチャー企業の株式公開

米国では今、ベンチャー企業の株式公開が盛んである。特に、インターネットを中心とするコンピューター、通信分野は目をみはるものがある。インターネットへのウォール・ストリート(日本で言えば兜町)の熱は大変なものである。インターネットのブラウザー(他にサーバー等もあるが)で有名なネットスケープ・コミュニケーションズ社が昨年株式公開し、その創業者達に大きな利益をもたらした事は、記憶に新しい。その後、インターネット関連株は一部調整にはいり、ネットスケープ等の株も下がった。

しかし、ここ1、2か月ほどで株式公開したインターネット関連企業は、またまた創業者達に大きな利益をもたらした。単に大きいといっても、並大抵のケタではない。例えば、最近株式公開したヤフー(Yahoo)というイエローページ・サービス(企業等のインターネット上のアドレスを分野別等に分けて索引を作り、またキーワードによる検索も可能としたもの)を立ち上げたスタンフォード大学院生2人は、それぞれ株式公開時点での持ち株額が、それぞれ150億円程度の資産を得た(実際は株式公開後6ヵ月は株を売却出来ないので、その時点にならないと本当にいくらの資産となるか不明だが)。

このような億万長者が一夜にして出来るのを見ていると、何だか毎日コツコツ仕事をしているのがばからしくなってくるが、この一発当てれば大金持ちになれるという魅力は大きく、米国の優秀な人材が大会社よりもこのようなベンチャー企業で仕事をしたがるのもよくわかる。

これがまさしく米国のベンチャー企業を活気あるものとし、その結果、新しい技術、新しい形態のビジネス等の多くが、米国から発生するという事になるわけである。米国シリコンバレーで活躍するヒューレット・パッカード、アップル、サンマイクロシステムズ、オラクル、シリコングラフィックス、シスコ、そしてネットスケープと、すでに長い歴史をもつヒューレット・パッカードを除き、そのほとんどはここ10数年以内に出来たベンチャー企業である。そして、そこからは、パソコン、ワークステーション、リレーショナル・データベース、ルーター、そしてインターネットのソフトウェアと次々にコンピューター、通信分野で新しいものが生まれてきた。今や、コンピューター、通信の新しい時代の流れはベンチャー企業からしか生まれないといっても過言ではないような気がする。

このような米国の状況に対し、日本ではなかなかベンチャー企業が育たない。もし新しいものが生まれる確率がベンチャー企業のほうが圧倒的に高いとすると、ベンチャー企業が育ちにくい日本からはほとんど新しいものが生まれないという大きな問題となる。

日本でベンチャー企業が育ちにくい原因は幅広く、根深い。ストックオプション等に対する規制(ようやく日本でもこの問題に手がつけられ始めているが)、株式公開するための厳しい条件、そしてそれをクリアするために必要となる年数の長さ(日本では早くても10年かかるといわれているが、米国ではわずか1年でまだ黒字すら出していないベンチャー企業でも株式公開可能)、ベンチャー資金の不足、失敗を許さない日本の社会(一度大きな失敗をすると敗者復活が難しい)、ビジネスがうまくいかないと私財をすべてつぎ込んで頑張る姿勢を見せないと許されない風土(米国では私財をすべてつぎ込まなくても撤退は許される)、リスクを取りたがらない人々の姿勢等々。

しかし、今や大企業に入社して順調に出世したとしても東京で親から受け継ぐ家もない人達は、安全平穏ではあっても、あまり充実した人生がおくれるとはいえない。また、昨今のインターネットに関連して、日本でも個人や小企業が頑張っており、何がなんでも大企業安定指向ではなく、自分であるいは小人数で頑張ろうという意識のある人々が日本でも増えて来ているのは大変頼もしい。

だがこのような、ベンチャーをも受け入れようという個人の感覚の変化や、社会の変化も、ストック・オプション等の制度、株式公開の条件の大幅緩和等を早くしてやらないと、オーナー社長本人はよいかもしれないが、創業と同時か早い時期にそのベンチャー企業に参画した人々はその利益を受けられず、その結果、よい人材がベンチャー企業にあいかわらず集まらないという事になってしまう。

折角世の中の風潮が少しずつ変わって来ているのだから、制度変革や規制緩和がそれに遅れないよう早急に実施されてほしいものである。そして、一つの会社で我慢を重ねながら一つの人生を送る(勿論そういう人生もあってよいわけだが)ばかりでなく、自分でやりたい事をやってみる、また人生の間にいくつかの違った複数の人生をおくる、そんな事がもっともっと気軽に出来る社会に日本もなってほしいものである。

  黒田 豊

(1996年5月)

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