米国ビザH-1B規定変更の衝撃

 

9月19日、米国トランプ政権による、ビザH-1B規定変更が発表され、9月21日に発効した。H-1Bビザは、米国の企業が高度な学術的・専門的知識を持つ外国人専門職(ITエンジニア、研究者など)を雇用するために使用するビザで、年間85,000人に発行されている。米国大手IT企業でもそれを使って多くの外国人が採用されている。多いところでは、1位のAmazon.comが12,000人、Microsoft、Googleの親会社Alphabet、 Meta(旧Facebook)などでも、それぞれ4,000 – 5,000人はいるという。かなりの数のH-1Bビザが、これら企業の従業員に対し発行されていることになる。日本でも大きく報道されていたので、ご存じの方も多いと思うが、今回の発表は、このH-1Bビザの申請に、1件あたり10万ドル(約1500万円)の申請費を追加で課すというものだ。これまでは2000ドルから5000ドル程度だったのが、これにさらに10万ドルが加わるという、極端な値上げだ。

 

発表当初は、政府からの情報に詳細な説明がなかったため、すでにH-1Bビザを持っている人にも、この10万ドルがかかるかもしれないとか、H-1Bビザを持った人が米国外に一度出ると、戻るときにこの10万ドルが課されるのではないかなどの不安から、シリコンバレーの各企業も、H-1Bビザ保持者は詳細がわかるまで国外に出ないように、また、国外にいる人は、この規定が発効する9/21までに、可能であれば帰国するように、との指示が出された。これは、単にニュースで聞いた話だけではなく、シリコンバレーの知り合いから、実際にそれが行われたとの話を聞いている。その後、政府は詳細をFAQ(よくある質問)という形で発表し、10万ドル支払う必要があるのは、新規申請者で1回のみとなっている。

 

H-1Bビザと言えば、いま日本人で日本企業の駐在員以外で、シリコンバレーに住んでいる人達も、その多くは最初H-1B(またはそれ以前のH-1)ビザで、米国に滞在できるようになった人だろう。私自身も、その一人だ。私の場合、ビザ取得のため、スポンサーしてくれた会社は、まず新聞広告を出して、私がやるような仕事の求人を行い、該当する人がいないことを確認するところから始まった。結局申請の準備開始から取得まで、3年半くらいかかったと記憶している。しかし、そのとき10万ドルを支払うことが条件になっていたとしたら、私の勤務していた会社がそれを出してくれたかというと、疑問だ。おそらくかなり高い確率で、出してくれていなかったと思うので、私が長年シリコンバレーに住んで仕事をすることなど、出来なかっただろう。

 

このH-1Bビザ申請のために10万ドルが必要になったことによって、米国に来て働きたいという外国人に対する門戸が、大幅に狭められ、米国IT企業などに大きなマイナスが生じるという報道がたくさん出ている。その話はさておき、まずは何故現政権がこのようなことに踏み切ったか、という点から見てみたい。現政権の発表によると、H-1Bビザの発行がAbuseされており(安易に乱用されている、という感じでしょうか)、本来の目的ではなく、多くの、それほど高度な知識を持った人でない人にもこのビザが発行されており、それによって、米国人の雇用が阻害されている、それを是正するため、とのことだ。現政権だけでなく、このビザの安易な乱用の問題を指摘する声は、少なくなかった。

 

実際、H-1Bビザの申請・認可のシステムに問題があると考える人は多く、この現政権の考え方に対し、政府の言うことにも一理ある、という意見もある。たとえば最近、大手IT企業は、今後のAI積極利用や、AI開発推進のための資金を確保するため、大きな利益を出しながらもレイオフによって、人員削減を行っているところが少なくない。たとえば、Metaは今年H-1Bビザを取得/更新した人が5,000人を超えたが、今年3,600人をレイオフしている。GoogleやAppleも、同様に多数のH-1Bビザ取得者がいるが、多くのレイオフも行っている。このような社員のレイオフ状況で、米国に必要な人間がいないので、H-1Bビザで外国人を採用する必要があるというのは、おかしいのではないかと、民主党を含む3名の上院議員たちは、大手IT企業宛てのレターで述べている。

 

もしかすると、単に安価な外国人を採用したいために、H-1Bビザに頼っているのではないか、ということだ。これを裏付ける情報として、以下のようなものがある。H-1Bビザを受けるには、一定以上の給与を会社が提供する必要があるが、それをさらに4つのレベルに分けて、現在のLottery(抽選)制度を変更する案が出ているが、その4つのレベルに分けた場合、2020年から2024年の間にH-1Bビザを取得した人の83%は、下位2つのレベルの人達だったという。これらを考えると、現政権の言っていることにも、一理あると言える。

 

また、発表から1週間がたち、詳細がわかると、十分な資金を持っている会社の中には、この10万ドルの規定も悪くない、と言い始めている人もいる。それは、これによって、これまで抽選で十分ほしい人数分の外国人を確保できていなかったのが、これで抽選がほとんどなくなり、10万ドルさえ支払えば、H-1Bビザがほぼ確実に得られるようになる可能性が高いからだと言う。Netflix共同創業者のReed Hastingsなどは、10万ドルの追加申請費は「A Great Solution」(すばらしい解決案)と、ソーシャル・メディアに投稿している。

 

とはいえ、この現実を前に多くの企業は戸惑い、外国人採用に関して、今後どのようにすべきか再検討しており、今後のイノベーション発展に悪影響を及ぼすのではないかとの意見も多く聞かれる。実際、IT大手企業、Googleの親会社Alphabet CEOのSundar Pichai、Microsoft CEOのSatya Nadella、Tesla CEOのElon Muskなども、米国に最初に来たのはH-1Bビザによるという。現在のFortune 500の46%以上は、移民またはその子供によって創設されたとのことで、H-1Bビザで入国した人も少なくないだろう。今回のようなビザ申請のための10万ドルが必要だったら、彼らは米国に来て、その後会社を起こすことができたか、疑問だ。

 

H-1Bビザによる外国人労働者が増えることにより、これまで米国経済にとって、メリットがあったと考えるエコノミストたちもいる。一つは、外国人労働者と米国の労働者の持つスキルは異なる場合が多く、仕事の取り合いは起こっておらず、それぞれ異なる仕事に就いて、市場で消費活動を行い、経済全体にプラスとなっている。また、H-1Bビザで米国に来た人達で、その後起業し、雇用を増やしたり、新たなイノベーションを起こし、経済発展に寄与している場合も少なくない。これが、今回の10万ドルの申請費の件で、H1-Bビザ申請者が減ると、これらのプラス面が損なわれると懸念している。

 

特に、今回の決定で大きなダメージを受けるのは、スタートアップ企業だ。大手IT企業は、本当に必要な人材と思えば、10万ドルを出してでも、H-1Bビザ取得に動くだろう。しかし、資金が豊富でないスタートアップ企業は、それができない。そのため、人材獲得でも大きなハンデを背負うことになってしまう。最近は巨額の投資を受け、資金豊富なスタートアップ企業もあるが、そこまでいかないスタートアップ企業は多く、かなり厳しい状況に陥る。

 

では具体的に各企業は、この状況にどう対処しようとしているのか。一つは、外国人で採用した人を米国に連れて来ず、そのままその国にいながら、リモートで働いてもらう、ということがある。これでビザによるコスト増を防ぐことはできるが、最近は各社とも社員同士のコミュニケーション強化のため、リモートワークではなく、少なくとも週に数日は出社するようにと指示する動きも多く、完全リモートではそれが実現できないという課題が残る。また、これでは、政府が本来の目的としている米国人の雇用拡大には、つながらない。

 

米国にH-1Bビザで入国するのが難しいのであれば、是非我が国へと、カナダやイギリスなどは、手を上げようと準備しているようだ。日本でもそのような話はあるようだが、具体的な動きは、まだよく見えない。また、H-1B以外のビザ(O-1など)によって、外国人を米国に受け入れようとする動きもある。

 

H-1Bビザ申請のための10万ドル申請費の件は、このように、どちらかというとマイナスの面を言う人が多いが、いま検討されている、これに関連するプロポーザルで、H-1Bビザの抽選を行うとき、企業が提供する賃金に合わせ、高賃金の人ほど抽選で当たる確率を上げるよう変更しようというものについては、賛成する人が少なくない。私もこれは悪くない提案だと思う。現政権は、何かを発表したあと、世の中の反応を見て修正する、ということも行っており、10万ドルという金額が、来年のH-1B申請抽選の前に減額されるのではないか、という期待を持つ人もいる。個人的には、10万ドルの申請費については、金額を引き下げ、この抽選のやり方の変更によって、現政府が求めている、本当に必要な外国人にのみH-1Bビザを発行し、米国にいる人材でも十分賄える仕事に就くような人へのビザ提供を、大きく削減するというのが、マイナスのインパクトが少なく、いいように思える。さて、この先どうなっていくか、引き続き注目していきたい。

 

黒田 豊


2025年10月

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